広島ラグビー界の歩み
広島ラグビーの幕開けは、昭和7年の「広島ラグビークラブ」結成に始まります。
同年直ぐ、広島一中、崇徳に中学チームが誕生したほか、呉にもクラブチームができ、年末には早速広島初の紅白試合が始まっていました。
以後戦前は、崇徳が全国中等大会で善戦するほか、糸崎鉄道学校、広島一中、広島商の中学と、東洋機械、広鉄、振興人絹、東洋工業といった実業団の活躍ぶりが記録の中で目立っています。
敗戦の荒廃の中から、広島スポーツ復興のさきがけとなったのはラグビーでした。
終戦からわずか4か月後の12月、故白井修一郎氏らが中心となって、広島OBクラブが復活。翌21年には崇徳、広島高専、広鉄などの復活や、呉駐留の英豪軍将士を招いて崇徳OBと三菱工作との試合も始まっています。
その後昭和40年代にかけ、高校は名門崇徳のほか誠之館、尾道商、福山葦陽など県東部の台頭、広島工、工大附、格致などの活躍ぶりがあり、社会人では、東洋工業、呉の淀川製鋼、日立らの出現により広島ラグビー界は隆盛の時期を迎えました。
昭和60年代には、高校は広島工・社会人はマツダが全国大会連続出場など頭角を現し、平成に入ると高校は安芸南・尾道が加わり、社会人は中電が競るなど広島戦国時代に入りました。
なお、昭和46年に開設された少年ラグビースクールは、今日まで多くの少年ラガーを世に送り、底辺拡大に大きな役割を果たしていることに注目したいと思います。
今日、広島ラグビー界は、中学校1チーム、高校12チーム、高専2チーム、大学9チーム、社会人12チーム、少年スクール11チームに、女子ラグビー1チームが加わり48チームが活動しており、今後の発展も楽しみとなっています。